東京支部ホームページへようこそ

私共、東京支部は平成23年度より活動を開始した新しい支部です。中目黒及び川崎を中心に活動しております。興味を持たれた方は是非見学にお越し下さい。

 

【竹生島流棒術について】

竹生島流棒術は、難波平治光閑(なんばへいじみつのり)が、竹生島の弁才天より長刀一流を夢想奉得し、源平合戦に出陣し、戦の最中、長刀が込本から折れたが、あわてず、その柄を長刀の手で戦い大勢を討ち取ったことから、棒術を編出し竹生島弁才天の冥恩であるとして竹生島流棒術と名付けたことに由来する棒術の流派です。

 「竹生島流棒術」をもっとよくお知りになられたい方は 本部ホームページへ↓

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「東京支部ホームページへようこそ」への9件のフィードバック

  1. 福永くみ子 の投稿:

    私の先祖は竹生島棒術15代岩瀬重周です 母の先祖は庄内藩出身とは聞いてました。今になつて分かり 詳しい事を生前に聞いておけばよかったと思います

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    • 竹生島流棒術HPの管理者です。コメントいただいたのに気づいておりませんでした。申し訳ありませんでした。

      岩瀬先生の御子孫でいらっしゃるんですね。声をかけていただき、誠にありがとうございます。是非当方の連絡先のメールアドレスにご連絡くださいませ。

      岩瀬先生は新徴組と共に江戸の警護をしたり、戊辰戦争への参加や、鶴岡市にあるお墓など、わずかでもお話できることもあるかとおもいます。

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  2. 福永くみ子 の投稿:

    ありがとうございます 私は今76才です
    私の曽祖父にあたります 両親共庄内藩出身です 先生は母方の方です 母の弟が札幌にいて30年程前に お墓を訪ねた時 門弟の建てたお墓は壊せないと言う事を聞きました アイパットを買ったのが 2年程前 何気なく庄内藩の事を調べていたら 重周さんが出てきましたのでびっくりしました 棒術は今でも行われているのですね
    今は何でもわかる時代ですね。 よろしく

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    • 福永くみ子様

      お返事ありがとうございます。鶴岡にある先生のお墓(おそらくお話されているお墓)は私共も近くに立ち寄る度に、お参りにいきます。また、重周先生の写真などもたくさん残っております。

      こちらのコメント機能では反応が遅れますので、

      是非  tikubujimaryu@gmail.com までご連絡くださいませ。

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  3. 福永くみ子 の投稿:

    時々お参りしていただきありがとうございます。私は名古屋でに住んでます 暇に任せてアイパッドを見てましたらきちんとコメントいただきありがとうございます。
    シゲチカさんの位牌は今札幌の寺にあるそうです たいそい立派な様です。

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  4. 前宗家が戦後直後の仕事の都合で長崎に移動しました。
    戦前庄内藩酒井家は本拠のある長崎県の大村藩から奥様をもらっており、前宗家は偶然、長崎県大村市の奥さんをもらいました。そんな不思議な縁もありながら、それから現在まで長崎に棒術の本拠はあります。
    ホームページ全般を管理しております東京支部支部長の私は長崎で生まれましたが、大人になってから庄内藩に親近感がわくようになってきました。

    重周先生は幕末、庄内藩が江戸の警護を任された際に、新徴組らとも行動を共にしたとの記録が残っております。新徴組をはじめ庄内藩の幕末の活躍は目覚ましいですよね。もっと世間に知られるべきだと思います。

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  5. 可能であれば重周先生が北海道に渡った経緯など教えていただくことはできませんか。北海道でなくなられた話はあったのですが、わかっていない事が多くて。

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  6. 福永くみ子 の投稿:

    シゲチカさんは北海道へは行ってません 鶴岡で亡くなってます。 正月過ぎに札幌のオバと電話してましてシゲチカさんの後の宗家 長崎の方が 資料を送って欲しいとの事で 家に置いておいても仕方ないないという事で 数十年前に全部送ったそうです。
    90過ぎてますが義理がたい人なのか 亡くなって100年以上過ぎてますが月命日、お盆はお参りに家に来ていただいているそうです シゲチカさんの娘が庄内藩出身の勤め人と結婚して札幌に渡ってます。
    何しろ古い事で何もわかりません

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  7. 数十年前ということは前宗家(私の祖父)ですね。資料も送っていただいたりと、気付かないままお話してしまい申し訳ありませんでした。
    岩瀬先生は北海道にいかれてないのですね、
    京都で開かれていた武徳殿という大きな演武会があるのですが、昭和12年の同大会に竹生島流として北海道から砂金さん、傳法さんの二人が出場されておられます。
    てっきり、岩瀬先生が北海道に行かれてお弟子さんを育てられていたと推測していたのですが、そうではないようですね。
    とはいえ庄内藩から北海道にわたられた方々が少なからずいらっしゃるようですね。何か北海道に渡る切欠があったのでしょうか。

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